ヨガを始めて15年目になります。
子供の頃、小学校6年間はソフトボール。
お習字は社会人になってからもなんとか十数年は続けた。
昔から何事も途中でやめるというようなことはなかったようですが、
ヨガはやらない日がほぼないので、毎日×15年。
もう15年!?あっという間の15年。まだ15年です。
32歳の春、「見て見て~、やっと地面に手が着くようになった~!」と自慢している写真。
それが、数年後には海に浮かべた板(SUP)の上で頭立ちができるようになっているのですから、継続は力。。
ピンチャマユラーサナ(孔雀の羽のポーズ)とハンドスタンド(倒立)は、黒いウェアが2016年、赤いウェアが2020年。
間違い探しのような写真ですが、よく見るととても安定しています。
胸が開き、肩がさらに強くなり、軸がしっかり通った感じ。
手のひらの位置も、2016年には着くことができなかったところに着けるようになっている!
いや~、、こんなポーズができることがスゴイことではなく、
伝えたいことは、これらのポーズを普段は「全く練習していない」ということなんです!
なのに、朝めし前にやっても前よりできるようになっている(*´▽`*)
今までやってきたことは間違っていないということ、いつもやっていることがつながっていくということ、
=「基本が大切だ」ということを改めて教えてくれる写真です。
ヨガの基本は「太陽礼拝」という動き。太陽礼拝をしっかりやっていれば、どんなポーズもできるようになると聞いた。
書道では「永字八法」といって、「永」という字をひたすら練習すればどんな字もきれいに書けると先生が言ってた。
「道」とつくものは通ずるところがあって、これまた今までやってきたことが自分の中でつながっておもしろい。
もう一つ、何よりヨガのいちばんの基本は「呼吸」。そう考えると、死ぬまでできるヨガ。
30代の頃は、こういった難しいと言われるポーズができるようになりたくて、一生懸命練習したこともあった。
40代の今、その頃のヨガの向き合い方とは違う。基本に立ち返るようにしている。
これからもきっと変わっていくと思う。
80、90になって、だんだん体も動かなくなり、最後は呼吸だけになり、
そして、その呼吸も止まるとき、私も人生の最期を迎える。
まさに、屍になる。
日々のヨガで、シャバアーサナ(屍のポーズ)は、まさにその練習をしているようなものだと何かで読んだ。
ティンシャ(鐘)がなったらまた目覚め、胎児のように丸くなってから起き上がり、座る。
ヨガをして何度も何度も生まれ変わって、そのたびにまた新しい体や心で日常に戻る。
そこには過去も未来もなく、「今、そこにいる自分」しかないと思うようになった。
今、この時代を生きる私たち。1回の人生。
そのときそのときを大事にしようと思う。
時間も、自分の体も心も。
自分に関わってくれている人、すべてのことを。
でも、ついつい忘れてしまうんよな~。
いろんなことをすぐに当たり前に思って、感謝することや謙虚さを欠いてしまう私。。
だから、また思い出す。「ありがとう」と「ごめんね」。
地面に手がつかなかったこと、毎日しあわせに暮らせていること、
初心を忘れないように、そして、地道にヨガを続けていく。
まだまだ道は長い(*´▽`*)
ありがとう。
瑛人だかナインだか、NiZiUだか30だか知らんけど、もうすぐ50の声が聞こえてくるのに逆立ちなんかできて、
ダジャレも我ながらうまいこと言うなと、一人でニンマリしているき~よ~ちゃんでした!