月に一度の「ゴミ退治」

ゴミ拾いを始めて5年目。

毎回いろいろな学びや気づきがあることが本当におもしろく、あらゆるすべてのことがつながっているように思う。

 

昨年は新聞に取り上げていただいた。

「この地域のために何かしたい」だなんて、、

月に1回、たったの30分なのに、こんな風に書いていただいてお恥ずかしいのですが、

私自身、決して「いい人」ぶるためにやっているわけではないし、何の自慢にもならないし、

逆に、自分のためになっていると思えるところがゴミ拾いの魔力。

 

でも、本来ならば、ゴミ拾いなんてしなくてもいい日がくるべきだといつも思っています。

まさに、湘南で見かけたポスター「捨てないことが、いちばんのゴミ拾い。」

 

で、そもそも「ゴミ拾い」という名前が、「好き好んでやってますよ」というニュアンスを醸し出している気がして、

何か違う言い方がないかな~とずっと思っていました。

 

そんな中、最近読んだ本の中にようやくいい言葉を発見!→【ゴミ退治】

これなら、「ゴミを捨てること=悪」という意味合いが含まれていていいやん!

※京都のNPO法人「スウィング」という団体が、ゴレンジャーのような衣装を着た「ゴミブルー」に扮し、

「ゴミコロリ」と名づけて定期的に清掃活動をされている。代表の方の著書「まともがゆれる」より。

 

この前は、バス停の椅子に、おにぎりやお菓子を食べたゴミがコンビニの袋ごと落いてあった。

コインパーキングの隅には、明らかに車の灰皿をそこに捨てたよね?っていう約100本のタバコの吸い殻がしょっちゅう。。

「捨てる人がいて、拾う人がいる。バランス取れてていいや~ん!」って、そんなバランスいらんねん!

親や背性に言われませんでしたか?「ゴミはゴミ箱に」って!

昔、教師をしていた頃、廊下や階段のゴミを見つけては拾って歩いていた。→人としての背中を見せていたつもり(*´▽`*)

お昼ごはんのあとの教室に行くと、毎回パンの袋やジュースのパックが落ちている。

最初は普通にやさしい声で「ゴミ落ちてるよ、落とした人拾いや」と言っても、みんなの手前たいてい誰も出てこない。

たまに素直に本人が、または私が毎日しつこく言い続けるのを見かねて他の生徒が拾ってくれることもあった。

→なかなかできないこと。私が救われました。

 

そう、そういう日常の何気ない場面や、意識していないところに人の姿が表れるんじゃないかなと、

今「ゴミ拾い」を通して思う。

 

かわいかったあの頃の生徒たちは、今どんな大人になってるのかな(^^)

きっと自分の子供に「ちゃんとゴミ捨てなさい!」って怒ってるやろうな~(*´▽`*)

 

たかがゴミ拾い、されどゴミ拾い。

いろんな点と点がつながっていくことを教えてくれる。

ありがとう。

 

きなりは、美女軍団「ゴレンジャー・ピンク」で、この美しい姪浜を守ります。

リーダーのき~よ~ちゃんでした!(*^^)v

 

・・・

 

次回の「ゴミ退治」※毎月11日開催(時間は日によって異なります)

2月11日(木)8:20~8:50