特に社会や歴史が好きというわけではなかったが、中学校の教科書に出てきた言葉を今でもよく覚えている。
大人になった今、気がつけば旅行が大好きで、次はどこへ行こうかと地図や路線図はずっと見ていられるほど。
でも、思い返してみると、中1の時からその日習った国や地名を探して地図帳に色をつけるのが楽しみやったな(^^)
で、、誰もが学生の時に習ったであろう言葉を、九州地方に関していくつかあげると、
〇吉野ヶ里遺跡→アウストラロピテクス同様、教科書の最初の方に出てくる。吉野ヶ里?どんなところなのかいつも妄想してた。
〇金印(漢倭奴国王)→「かんのわのなのこくおう」と早口言葉のように何回も言ってた。
〇元寇(防塁)→蒙古襲来、チンギス・ハン、神風。
〇有明海→なんかいい名前やん。
〇平戸→キリスト教伝来、サンフランシスコ・ザビエルじゃなく、フランシスコ・ザビエル。
→「ザビエル」ってあだ名つけられる人おらんかった?
そして、「かくれキリシタン」や、キリシタンでないことを証明するための「踏み絵」など。。
→「隠れる」「自分の心に嘘をつく」というネガティブな感じでインパクトが強かったのだろう。
当時の社会の勉強はとにかく暗記。
ただ言葉を覚えるだけで、時代の流れやその内容については、はずかしながら今もほとんど説明できない。
ところが、数年前に訪れた五島の旅で「教会」に対する見方が変わったし、
2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されたことをきっかけに天草を再訪するなど、
300年もの間、日本がキリスト教を禁止していたことについて、とても興味を持つようになった。→「上五島・静かな祈りの島」
そして何より、「やっと会えたね(辻仁成)」みたいな、、
数十年の時を超え、教科書レベルの言葉の数々と実際に直面する瞬間が、私には「萌え~♡」なのです(^^)
→「吉野ヶ里遺跡=だだっ広いところだった」と確認済('ω')ノ
そんなこんなで、、昨年、潜伏キリシタンとして信仰を守ってきた島「生月島」へ。
ところが、まさかの橋が通行止めという思わぬ事態で島に渡れず、ブログ→「旅のつづき、長崎へ。。」
今年、ようやく再チャレンジできました。
今回も佐世保を拠点に出発し、2年越しで辿りついた生月島で、しっかり予習していったその歴史と大自然を感じた。
そして、そのあと立ち寄った小さな村、平戸の「春日集落」。
江戸時代からほぼ変わらない風景を残しているそうで、海に向かって広がる棚田がなんとも美しかった。
で、ここも同じくキリシタン関連の世界遺産に登録されたというのだが、、全く知らなかった!
だって、田んぼしかないやん!?
さっきの生月では小さなかわいらしい教会を見てきたし、五島には上五島だけで29の教会があった。
天草は、静かな漁村にひっそりと佇む崎津教会が注目されるようになったのに、、
ここには教会がない!?
語り部さんによると、
「村民は、キリスト教解禁後もカトリックに復帰しなかったので、ここには教会がないのです」と教えてくれた。
なるほど~、つまり、「かくれキリシタン」、、納得!
このように旅を通して、私の中で「ただの言葉」だったものが、その歴史や背景を知ることで立体的に膨らんでいく。
そして、コロナでまだまだ行動しづらい状況ですが、だからこそやっぱり「リアル」がいいと痛感。。
自分の足でそこへ行き、自分の目で見て、話を聞いて、人とふれあい、その土地や季節のにおいを感じる。
有名な観光スポットじゃなくても、どこへ行っても、何をしても楽しいと思えるようになって、旅の仕方が変わったなと思う。
というわけで、まだまだ私の中で、禁教時代のことを知りたいという気持ちは高まっているので、
次は、長崎の外海(そとめ)という地区に行きたい。
キリシタン弾圧の時代を描いた遠藤周作の小説『沈黙』の舞台となったそうで、
それを映画化した『沈黙~サイレンス~』も見たい。
しかし、一体、私はなぜこの一連の歴史にこれほどの関心を抱くのか、、
それは、、
「神への信仰心」→何かを信じるということ=生きる強さ
「背教」→自分の気持ちに背いて生きること=生きる苦悩
といったような、ヨガを通して私が意識するようになったこと、
私だけでなく、おそらく人として生きる上での核心的な部分につながることだからなのかなと思います。
社会に限らず、小・中・高で勉強してきたこと、いや、今まで生きてきた毎日が、
こんなふうにいろいろな形でつながり、拡がりを見せるとは、子供の頃には夢にも思っていなかった。
子供にとっては「勉強」が、大人になるとそれは「楽しみ」になる。
知らないことを知り、自分の好きなことに時間を使うのってサイコー!
「沈黙」、めっちゃ難しそうやけど、読んでみよ。
人生って楽しい。
ありがとう。
「やっと会えたね」
パリのシャルル・ドゴール空港で、辻仁成が初めて会った中山美穂に言ったとか言わないとか、、
あまりにインパクト強すぎて、何年なってもその状況を妄想してしまう、き~よ~ちゃんでした!
・・・・・
※「潜伏キリシタン」禁教時代に信仰を密かに続けた人々
「かくれキリシタン」禁教が解かれたあともそれまでの信仰の仕方を継続した人々
ぜひ、こちらを開いてください。
平戸の歴史や魅力が、きれいな写真とともにわかりやすく書かれています!
「かくれキリシタンの聖なる地、平戸」