ヨガと言えばインド、インドと言えば仏教。
「そもそも仏教とは?」というところから派生して、
自由訳された「般若心経」「老子」「方丈記」などを読みました。
でも、読んでも読んでも、もともとが仏教なので結局はどれも同じなのです。
要するに、「諸行無常」
同じところにとどまるものは何ひとつない。川の流れも、空の雲も。。
→あらゆるものは生まれては消えていく
→生まれては滅びることにとらわれる思いをなくす
→苦しみや悩みから離れ、穏やかになれる
〇「平家物語」:祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
〇「方丈記」:ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
遠い昔、国語や社会の授業で習い、よくわからずも覚えさせられたこの言葉の意味がようやく身に沁みた気がする。
すなわち、「この世はなんと儚いのか、、あぁ無常、、」だということ。→アン・ルイスは「あゝ無情」(^_-)
おもしろかったのは、「フツーに方丈記」という本。
生活するのに最低限必要な分だけ働き、あとは気ままに暮らす生活をしているという、大原扁理氏が自由訳したもの。
「方丈記」=「鴨野長明」はすぐに出てくるけど、でも、内容は?というと、
上述した冒頭の一文しか知らないし、知ろうとさえ思ったこともない。
ところが、読んでみると、前半はまさに今の世と同じ、「疫病の大流行」「地震などの災害」「不安定な政治」
長明は、これらからまるで自由になるがためのように出家し、
最後は山中で「自給自足のシンプルライフ」をしていたという話でした。
いや~、知らんかった~。自由訳がとてもわかりやすくて、真夜中まで一気に読んでしまいました!
で、、いつも思うのです。
ヨガが始まったとされる4500年前の人たちも、お釈迦さん(2500年前)も、鴨野長明(800年前)も、、
みんな「生老病死」だけでなく、日々思い悩み、苦しんでいたのだということ。
「苦」とは、仏教では「思い通りにならない」という意味。
きなりに来るみなさんも、それぞれにいろんなことを抱えながら生きている。
「みんな同じやな~」と思うと、私も心強くなれるのです。
でも、そんな「苦」から少しでも解放されるためにあるのが、ヨガや仏教の教え。
よりよい人生を目指すためのツールであり、ロードマップ。
ただその教え通りに実行、実践すれば、煩悩の火が吹き消された悟りの境地(ゴール)にたどり着けるのだが、、
そんな簡単にいかないところがまた悩ましいのであって、、
まずは、それができない人のために一体どうしたらいいのかを書いた「教科書ガイド」的なものがほしい(*´▽`*)
とにもかくにも、「すべては変わりゆく」ということ。
この前、またまたお気に入りのコップを割ってしまった( ;∀;)
諸行無常の精神で、意外にも早く立ち直れたつもり、、
ですが、そのコップを思い出しては、
「形あるもの、ないもの、すべてに永遠不変ということはありえないのだ」と、
おまじないのように何度も自分に言い聞かせる。→執着の塊(*´▽`*)
そう、今この瞬間にもあらゆるものが移ろい、時は流れている。
先日、5年ぶりの免許更新。
前の写真はまぁまぁいい映りやったのに、今回はいろいろガッカリな感じ~( ;∀;)
あのなんの心もない流れ作業的な撮影、ホンマやめて~。→人のせいにする。
もれなく「生老病死」に苦しみ、まだまだ煩悩だらけな私(/ω\)
「いいじゃないですか、大したことない人生だって」
大原扁理氏のこの言葉に救われている、き~よ~ちゃんでした!
ありがとう。