去年の目標:「謙虚」
謙虚さとは何かを考え続けた1年でした。
誰かに何かイヤな気持ちにさせられることがあっても、
自分にも悪いところがあったのではないかと、一度自分を省みるようになりました。
「他人は自分を映す鏡」、きっと自分も人にイヤな思いをさせているんだろうな、、と。
そんなことを考えていると、人と会話することに対して今までよりさらに気を遣うようになりました。
まず、ついつい自分の話をしてしまっていたのを控えるように努めました。
では、おとなしく無口なのが謙虚なのか?
いや、そういうことでもない。
そんな折、福岡市主催の「傾聴ボランティア講座」なるものが参加。
介護施設などに行き、希望する方のお話を聴くボランティアを養成する講座。
すでに傾聴の本を1冊読んだし、とにかく人の話を「うんうん」と聴けばいいんでしょ?くらいに思っていたら、、
違いました(*ノωノ)
傾聴とはカウンセリングの1つの技法で、
「相手の中に答えがあることを信じて、関心を持って肯定的に、相手の気持ちに寄り添って聴く」こと。
「聴く」という漢字は、目と耳と心という字でできており、
「耳、目、心をフル回転させて、あたかもその人になりきり、全身全霊で『話を聴かせてください』」
という態度が大切だそうです。
口で言うのは簡単ですが、実際にやってみると全然できないということに気づきます(*´Д`)
講師の先生の言葉がとても印象深かったです。
「ボランティア講座に参加しようと思う人は基本的におせっかいです」→確かに!
「だから、誰かと話をしていると、よくよかれと思って自分の経験を話したり、アドバイスをしてしまう」→NG
「『わかる~、私もそう!』などと言うのも、それは【同感】であり、決して【共感】ではない」と。→なるほど。
「日常会話」と「傾聴」とは全く違うものだということを知りました。
そして、「傾聴とは自己理解です。自分のことをよく知っていることが大切で、
普段の自分をよく知っている上で、それを横に置き、真っ白な気持ちで話を聴くことが大切」だとも。
まさか、傾聴講座のポイントが自己理解だなんて!
さらには、
「傾聴は『利他、感謝、おもてなしの心』をよしとする日本の良き文化と通づるものがあり、奥が深いんですよ」
とおっしゃっていました。
私はカウンセラーでもないし、普段の会話を「傾聴」まではできなくとも、
せめて「キャッチボール」、いや「上手な人とするテニスのラリー」のようであればいいと思います。
上手な人(聞き上手な人)とテニス(会話)をすると、ものすごく楽しく、長くラリーが続く。
こっちがどんな変なところに球を打っても、またちゃんと打ちやすい球を返してくれる。
「おりゃ~!」と思いっきりスマッシュしても、ヒョイと軽々またいい球を打ち返してくれる。
私のこと(負けず嫌い)をよくわかってくれている友達はわざと負けてくれたりした!
めっちゃ気分いいや~ん(*´▽`*)
こんなふうに、聞き上手な人と話していると楽しいし、自然と何でも話せるんだと思う。
そんな大事な友達の器の大きさにならって、
私も「この人は何を言ってもらったらうれしいか、どういう答えを望んでいるのか」を考えて話すようにしています。
メールや手紙も同じです。
これまでに、私自身がそうされてうれしいと感じたからです。
今も、私の周り(きなり)には、ほめ上手な人、やさしい言葉をかけてくれる人がたくさんいて、
本当に学ぶことが多いです。
ということで、話を聴くことを学びに行ったはずなのですが、
「心の底から相手の気持ちになって、心を込めて話す、聴く」
どれだけ時代が変わっても、私たちはロボットではない、温かい気持ちを持った人間。
話を聴くのも話すのも、大切なことは同じだと思ったいい経験でした。
最後に、、
「話を聴かせていただく」「ボランティアさせていただく」
恥ずかしながら、私はそんな考え方をしたことがないなと衝撃を受けました。
「(おかげさまで)~させていただいている」「(おかげさまで)~させていただいた」
なんだかこの言葉の中に謙虚さの「け」をみつけたような気がします。
ほら、やっぱり謙虚さ全くなかったやん。
また今年の目標も「謙虚」ですな(^^ゞ
ここ十数年の私の目標、「感謝」「素直」「決断」「捨てる」「余裕」
これもまだまだできてなくてトホホな毎日ですが、人はすぐには変われない。
また今年も好きなことして楽しく生きていきまっせ~!
謙虚の「謙」をいつも「嫌」と書いてしまう。
一生謙虚さが身につかないのではないかと思う、き~よ~ちゃんでした!
・・・
みなさん、いつも本当にありがとうございます。
みなさんが来てくださるおかげで、私はヨガのレッスンをさせていただくことができます(^_-)
今年もよろしくお願いいたします。