先日、あるテレビ番組で、サッカー選手の長友佑都さんが学生たちにこう尋ねました。
ー『感謝』の反対は、何かわかりますか?
ー『当たり前』です。
思いつきませんでした。
考えたこともありませんでした。
ハッとしました。
「当たり前」
かれこれこの10年近く、「感謝する」ことは、ものすごく意識してきたつもりです。
情けない話、本来なら何事にも感謝するのは「当たり前」のことです。
が、、その「当たり前のことが当たり前にできていない」ので毎年の目標にしたわけで。
「当たり前」という言葉がとても気になり、検索。
『当たり前』・・・有ることが常
『有り難い』・・・有ることが難しい
「当たり前」の反対が「有り難う」、すなわち「感謝」
お~、1周回って長友さんにつながった!
家族がいるのが当たり前。
おうちがあるのは当たり前。
毎日ごはんが食べられるのは当たり前。
大なり小なり、何かをしてもらったことに対して「ありがとう」と、
日々気楽に、わりと軽々しく口にしているように思います。
が、当たり前のように思っていることに対しては、素直に心から「ありがとう」とはほとんど言ってないよな~。
だって、有り難いことだと気がついてないから。
当たり前が当たり前じゃなくなって初めて、その有り難みがわかります。
何も考えなくても体が動き、呼吸ができていること。
毎日フツーに暮らしていること、トイレの水が流れていく。
日常に起こる、本当にささいで何気ないできごと、今日生きていて、ヨガをすることは当たり前ではないということ。
そのことに、12年前に少なからず気づかされたはずでした。
そして、このコロナ禍でも。
そう思っていても、ついつい忘れてしまうのです。
今日、3月11日という日に、改めて胸に留めたいと思います。
「幸せになる」「幸せになりたい」ではなく、もう充分幸せなことに気づこう。
幸せだから不平不満がなくなり、感謝の気持ちが自然と湧いてくる。
これからも小さな気づきを積み重ねて、穏やかさと喜びで心が満ちていきますように。
毎日の当たり前に、心から感謝します。
子供の頃から、開けた引き出しをちゃんと閉められない。
いつまでたっても、当たり前のことが当たり前にできない、き~よ~ちゃんでした!
ありがとう。