15歳、中学校の修学旅行が長崎だった。
平和公園、グラバー園、そして国宝指定の大浦天守堂。
イタリアやスペインなど海外でも、それはそれは大きく美しい教会を見てきた。
教会について深く考えたこともなかったので、教会とはキリスト教を信仰している人が行く、厳かできれいな場所、、
はい、私の中では、ステンドグラスや装飾が美しく、見た目に立派な教会を「教会」と思っていたのです。
そんな私の教会を見る目が変わったのが、初めて五島へ行ったとき。
島に何十とある教会を周るうちに、「これが教会?プレハブみたい」と思うものもあった。
そもそも、なぜそこに教会があるのか、その経緯にふれ、禁教時代のことをもう少し知りたいと思った。
五島、天草、平戸、、
数年かけて、世界文化遺産に登録された、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連の場所を訪れた。
その最後の締めくくりとなったのが、今回の長崎県外海(そとめ)地区。
潜伏キリシタンに関心を持たなければ、おそらく訪れることがなかった場所。
その外海を舞台に描かれた小説、自身もキリスト教徒である遠藤周作の「沈黙」。
ただでさえ内容が重い上にかなりの長編、昔の文庫本はものすご~く字が小さい、、
小説を読破するのは断念し、映画「沈黙ーサイレンスー」をじっくり2回見て外海に向かう。
キリスト教が弾圧されていた当時の「信じる者は救われない」状況に、
「胸が痛む、胸が苦しい、胸が締めつけれられる」とは、まさにこのことだと思った。
海を背にして建つ「沈黙の碑」には、
【人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです】と刻まれている。
「なぜ、神は沈黙し続けるのか」
はぁ、つらすぎる、、
自分だったらどうしただろうか。
今は穏やかな海をしばらく眺めた。
外海の集落においても「潜伏」が終わりを迎えたことを象徴する教会。
1つは、まさに「これも教会?」というような2つの教会を見学し、長崎市内へ。
いよいよ最終目的地。
長崎駅前の急な坂を数分上ると、目の前にサグラダ・ファミリアを模した教会が現れる。
そして、その横の大きな広場に造られた「日本二十六聖人殉教の碑」。
現代のこんな街なかに、昔あった悲しい歴史を物語るこのようなものがあることへの違和感と、
何度も長崎に来ているのに、今まで全く見えなかったものに目が向き、ものすごく新鮮さを覚えた。
やっぱり旅って楽しい!
しか~し、、たった一つだけ、この潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅でとても残念で心残りなことがある。
天草も西の端の端、崎津教会へ行った際、昔ながらの小さな商店で見つけた「杉ようかん」のこと。
それは羊かんではなく、あんこをくるんだ長細いお餅で、縁起がいいと縦にスッと紅い線が引いてあり、
その上には殺菌効果があるという杉の葉がのっている。
初めて見る食べ物に胸が躍る♡
あとで食べようと思って楽しみにおいていたら、、まさか!?
カビだらけになってるや~ん。
ガビ~ン&ごめ~ん( ;∀;)
見るからに一つひとつ手作り=保存料が一切入っていない=崎津を訪れないと食べられない。。
こんなにいろんなものがネットでポチっと買える時代なのに、、あゝ無情(*ノωノ)
先人の知恵、杉の葉の殺菌効果を信じて疑わなかったが、救われなかった。
またいつか「杉ようかん」に出会える日を楽しみに、潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅は、これにてひとまず終了~。
こんなに自由に好きなことを考え、好きなように行動できる。
平和な今にありがとう。
島原、天草、五島列島を望む稲佐山にて思う。
・・・
〇「杉ようかん」
https://tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43007088/dtlphotolst/smp2/
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