オキナワン&アメリカンな旅

沖縄にはもう何回行ったかな?くらいです。

が、その昔「沖縄はアメリカだった」ということをしっかり意識して旅行したことはなかった。

わかりやすいところで、沖縄に行くのにパスポートが必要だったとか、、

しかも、ほんの50年ほど前まで。。。

 

【戦後27年間、沖縄はアメリカの統治下におかれ、復帰後も米軍基地が集中。

米兵と日本人女性の間に生まれた子供たち。

当時は「混血児」と呼ばれ、父親が帰国し、取り残された母と子は厳しい生活を強いられていた】

 

そのようなことをNHKの番組で見て、那覇から車で北へ1時間、沖縄本島のほぼ中央にある金武町(きんちょう)新開地に行ってみた。

町の目の前には米軍施設キャンプ・ハンセン。

アメリカ兵の歓楽街として栄えたそう。

さびれた町に残る英語の看板やネオン、迷彩服を売るお店にタトゥー屋さん、、

沖縄ではない、日本ではない雰囲気に当時の様子を想像してみる。

タコライス発祥といわれるお店にはオープン前から行列が。

さすが、米兵さんを満足させるくらいの量でお腹いっぱい!

 

沖縄中部にある沖縄市コザも、嘉手納基地の前にあり、沖縄とアメリカが混ざり合うチャンプル~タウン。

メインストリート、コザゲート通りや中央パークアベニューには、

外国人が経営する飲食店やライブハウスが多く、ここで独特の音楽が生まれたそう(「DA PUMP」ISSAの出身地)。

ドル表記のお店がちらほらあり、ドルを使えるお店があることが不思議な気持ちにさせられた。

コザは沖縄の伝統芸能「エイサー」が盛んな地域でもあり、「音楽とエイサーの町」とされている。

こちらは「チャーリー多幸寿(タコス)」の本店があり、同じく大行列!

 

そしてもう一つ、沖縄には「ガマ」と呼ばれる自然洞屈が数多くあるということにも気がついた。

特に南部に多く、そういえば、神秘的な姿を見せる「玉泉洞」や鍾乳洞をカフェにしているところもあった(Cave Cafe)。

今回訪れた金武町には、洞内の気温が一定に保たれることから、泡盛の貯蔵庫としている酒蔵があった。

それより何より、戦時中にはガマは防空壕であり、集団自決に追い込まれるなどした場所であったということ、、、

 

そんなことを考えながら歩いていると、頭の上を米軍の飛行機が飛び、隣りで話す声も聞き取れない。

これが一日何回も、毎日毎日聞こえてくる日常。。

これが沖縄の現実。

私が育った環境、今過ごしている生活とは全く違うことを知る。

 

広島や長崎もそう。

「戦争はまだ終わっていない」とよくいわれるが、

たった80年近く前まで、日本は戦争をしていた。

私が生まれるわずか2年前まで沖縄はアメリカだった。

戦争を経験した大阪の亡き祖父母も含め、この時代を生き抜いてくださった方々に感謝します。

生まれる時代が少し違っていたらと思うと、、、、、

 

(申し訳ないですが、)

食事も喉を通らない、ことはなく、、

タコスにタコライス、アメリカ~ンなステーキハウスもいいけど、

朝からおばぁたちが元気に働く食堂や、琉球王朝時代からの伝統を受け継ぐ琉球料理「美榮」のザ・沖縄な料理もベリーグ~!

 

青い空と青い海だけではない、沖縄の歴史と伝統にふれる旅。

とにもかくにも、冬に行く沖縄はあったかくてありがたい。

 

ありがとう。