先日のヤフーニュースで、「『名もなき家事』は妻が9割」とあった。
ミスチルの名曲は「名もなき詩」、私が作る料理??は「名もなき料理」ばっかり( ;∀;)
例えば、手洗い場のタオルを取り換える、トイレットペーパーがなくなった時に買いに行く、などなどが「名もなき家事」。。
一方、同じ家事の話でも、宇宙関係の仕事に就いていた男性が、
妻の仕事を優先させるということで、自分が主夫になったという記事。
その男性が言うには、「掃除や片づけというのは、汚れたものを洗ったり、
ちらかったものを元に戻すというような『物事をリセットする作業』。
ところが、料理だけは何もないところ創作するという、『唯一クリエイティブな行動』。
だから、料理がいちばん好きな家事なんです」と。。
なるほど~、この人言うことが違うな~と感心した。話のレベルが全然違う。
と、偉そうに家事のことをつぶやいてるけど、、
今よりもっとまじめに生きていた15年ほど前は、家事に対しても「~せねばならない」という思いに捉われ、
かなり自分で自分の首を絞めていた、、と思う。。
切り替えがへたくそなきよちゃん、せっかくの休日でも、まずはおうちを片づけないと遊びになんて行けるかいなー。
掃除、洗濯、布団干し、、名もなき家事どころか、立派に名の通った家事に、かなりのストレスを感じてた。
人に頼ることが苦手なこともあり、ひとりで全部を、しかも完璧にやろうと思ってたところもあるのかな。
結果、、「なんで、私だけ??私だって働いてるやーん!!」と、心の中で叫んでたな。。ウォーーー!!
のちに、学校の先生をやめて数ヵ月間「専業主婦」になったことがある。
専業主婦の人たちをとても尊敬するようになったと同時に、私にはもっとも向かない職業だということも判明した。
けれど、今の私にとって、とても貴重な時間と経験をすることになった時間。。
とは言え、ヨガの予定が最優先で、3食昼寝付き、空いた時間に自分のペースで一通りの家事をするだけ。
いつも家が片づいているからか、毎日がとても楽しく、それまでできなかった習い事やボランティア、
そのうち塾のバイトも始めて、とにかく好きなことだけをする生活。
その頃の環境に心から感謝したい。
今でも不思議なくらい、その当時「これ(家事)が私の今の仕事」と、家の事をすんなりと受け入れられた。。
そう思うだけで、家事に対するストレスが全くなくなっていた。
気ぃ遣いなんで、プライベートでは人と会うのは好きじゃなかったけど(基本一人が好きな根暗人間)、
それも楽しいと思えるようになった。
ヨガのおかげで体もどんどん変わってくるし、そんな自分に自信を持てるようにもなっていた。
やったことないことはとりあえずやってみよう!という、まさかそれまでにない自分になっていた。
今思えば、その頃から少しずつ心も柔らかくなっていってたんや。。。
そう、、しなやかさ、余裕。。ゆとり。。
仕事をしているときは、時間的にはもちろん、心にも余裕がなかったのね。。
「いつもすべてに全力投球」しかできなかったからね~。
ところがどっこい、そんな私が今では、「掃除せんでも死ねへん、死ねへん」と、
「~しなくても生きていける」という、またまた超都合のいい魔法の言葉で毎日を乗り切っている(*´▽`*)
というのか、「掃除」「洗濯」「料理、、」という線引き(境界線)が今の私にはない。
生活の一部。(←5月のひとりごとより)
ごはん食べたら、食器洗うの当たり前やろ~。パンツ汚れたら洗濯するの当たり前やろ~。
生きていくためのフツーのことやん。
だから、家事(家の事)に男も女も関係ないし、むしろ、子供にも積極的にさせるべき!と思う。子供のために。
「トイレットペーパーがなくなったら買いに行く!?」←アホちゃうか(-_-;)(大阪弁)
みんな、もっとシンプルに考えようよーと、自分のことをいちばん上の棚に上げて思う。
それでもやっぱりさー、家事は一人でするより二人でしたほうが早いし楽やし、
毎日毎日のちょっとした心のいざこざがきっとなくなるよなー(^_^;)
さらに願わくば大富豪になって、毎日きれいなおうちでおいしい料理を上げ膳据え膳的な生活ってしてみた~い、なんて、
これっぽっちもヨガの教えが身についていない、きーよーちゃんでした(^_-)-☆
まだまだ道は長い。。
心もからだも、お肌も!美しくしなやかに。。。