昔、東京に住んでいた頃、「Xchange」というリサイクル活動に出会った。
着なくなった洋服を持ちこみ、好きなものを持ち帰る「服の交換会」→xChangeとは? |
わらしべ長者みたいでおもしろいと思って、きなりを立ち上げたときに似たようなイベントを開催しました。
ここ数年は「大人にもクリスマスプレゼントを!」ということで、
年末に「自分には不要になったけど『誰かが喜ぶもの』を持ってきて、必要な人が持ち帰る」
まさに、今この時代と大掃除の時期にピッタリな、SDGsなプレゼント交換会をやっています。
「これ、ほしい人いるかな~」と思うものでも、
「わ~、ちょうどよかった!」ともらわれていくのですから、実におもしろい。
持ってきた人も、もらった人も、
何よりなんとなくずっと家の片隅で疎ましく思われていた「もの」たちが、めちゃくちゃ喜んでいるように見えて、
それを見ている私も含めて、みんながハッピーになるイベントです。
ところが、単なる物々交換のようでいて、そこにはいろいろな気づきがあるのです。
まずは、物事を自分の価値観だけで判断してはいけないということ。
自分にとっては全く必要のないものだし、好みのものではなくても、それをいいと思って使う人がいる。
人は、みなそれぞれ。
自分のものさしで相手を測ってはいけない。
そして、もう一つは「手放す」、「思い切る」とラクになるということ。
いろいろと迷いながらも手放したあとの、心がス~っとする軽くなる爽快感がいい。
部屋にも心にもスペースができて、清々しい気持ちになる。
一度そんな感覚を味わうと、意外に手放すことが恐くなくなってきて、また「手放す」ができるようになってくる。
私も、今はもう「何もほしくないし、何もいらない」と思えるようになりました。
行動や考えも同じ。
ずっと悩んでいたことを思い切って「エイッ」とやってみると、
ほとんどの場合、「もっと早くやっとけばよかった~」となっているはず。
そして、それを期にどんどん動くようになる。
何をそんなに悩んでいたのかと思う。
こうやって、人は日々の何かあるささいなことがきっかけになって、少しずつ変わっていくのだと思います。
自分を変えたいと思うなら、行動するしかない。
といいながら、元々もったいながりな性格ゆえ、使えるものを捨てるのはホントに心が痛みます。
なので、できるだけ使い切って捨てるようにしています。それは、地球のためにも。→「今、思うこと」
同じく、樹木希林さんも生前こんなことを話されていたそうです。
「ものたちが『十分に役目を果たし終わった』と思えるように、始末する感覚で暮らしている。
人間もそれと同じ。十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということ」
「死ぬために生きているのではなく、生き切って死というものがある」
「生き切って死ぬ」か、、
そうありたいな。
ものが、そのものとして使われるところで使われ、
人も、その人の存在を十分にいかせるところにいられたらいいな。
そして、ヨガが、ヨガを必要とする人に届くことを願います。
ありがとう。
ボールペンを最後まで使い切った時の達成感!なんかいいことがありそうな気がする(^^)
昔は、短くなった鉛筆を銀のホルダーにつけて使ってたよな~。
それ、まだ目の前の鉛筆立てに入ってるやん。
誰かいりません(*´▽`*)?
自分のものはなかなか捨てられないけど、人のものは容赦なく捨てる、き~よ~ちゃんでした!